こんにちは、まめこです。
今回の特別お題、「仕事と子育て」。
まさにこのブログのメイン部分!ということで、チャレンジしてみたいと思います。
何の話を書こうかな~と考えたのですが、タイムリーなネタなので、子どもを育てながら働きだして一番しんどかった今回のコロナ禍での登園自粛で感じたこと・気づいたことを書こうかなと思います。
0歳から保育園
2018年10月生まれの息子。現在1歳8ヶ月です。
そんな息子は、昨年7月、生後8ヶ月の頃から保育園に通い始めました。
最初は週1程度から預け始めていましたが、生後11ヶ月からは私がフルタイム勤務で復職。週5×10時間みっちり保育園生活です。
世の中には「仕方ないけど0歳から預けるのが辛い」とか「預ける時やお迎えの時に大泣きしている姿を見て後ろめたく感じる」という方もいるとは思いますが、私の場合は息子を0歳から保育園に預けることに後ろめたさを感じることはありませんでした。
それは、母親である自分が仕事をすることが、子どもにとっても良いと思っていたからだと思います。私の母も仕事をしていて、私にとってそれが普通だったし、母から仕事で成果をあげた話を聞いては子どもながらにすごいと感じていました。
そして実際に働きだしてみて、子育ての時間と仕事の時間の両方があることのほうが、私にとっては気が楽だと分かりました。育児休業中より余裕をもって子どもに接することができているような気がしていました。
保育園に通えなくなって抱いた悩み
そんな私ですが、初めて仕事をしていることを後ろめたく感じるというか、育児と仕事のバランスに悩まされることになりました。
きっかけは新型コロナウイルスの感染拡大による、保育園の登園自粛です。
登園自粛は4月から始まりました。最初は登園自粛の呼びかけに自主的に協力し始めたようなものでしたが、途中から両親ともにエッセンシャルワーカーでない場合は原則保育園が利用できなくなりました。
私の会社は早々にリモートワークに切り替え、3月の終わりごろからずっと家で仕事をしていました。一方で夫は緊急事態宣言中も出勤が必要でした。
そうなると、保育園に登園できない息子を見るのは基本的に私になります。とはいえ私にも仕事があります。会社に相談して、「できる限りでいいから働いてほしい」と言われていました。
そんなわけで、私が仕事をできる時間は、夫の出勤前や子どもの昼寝中、夜寝た後だけでした。夫が家にいない時間は、基本的には仕事はストップして子どもを見て過ごします。
とはいっても、会社では他の人は働いているわけで、どうしても確認や相談の連絡が来たりします。私は私で、仕事する時間が少なくなかなか進まない分人に任せることが増えているため、そういう連絡が気になってしまいます。
気づくとスマホで仕事のやり取りをずっとしているということもあり・・・子どもはいつの間にかYOUTUBEを覚えて動画をずっと見ている状態。
こうなって、「子どもが目の前にいるのに、仕事をしていていいんだろうか?」と、初めて自分が仕事をすることに対して悩みを抱きました。
悩みはあったものの、登園自粛の2ヶ月の間でそれを打開する方法を見つけることはできませんでした。というか、仕事を一旦諦める以外の方法はなかったと思います。仕事をしながら子どもを見ることは不可能でした。
登園自粛の2ヶ月間はフラストレーションがたまり辛かったです。
もちろん、子どもと一緒に遊ぶ時間もちゃんとあったので、楽しくもありましたが。息子がシールを貼るのが上手になったりとか、階段を登り降りできるようになるのを目の前で見られたのはとても良かったです。動画も悪いことばかりではなくて、動物の名前や色の言葉をかなり吸収していましたし、息子が英語好きだということにも気付けました。
でも全体的に見れば、私にとっても息子にとっても、中途半端で消化不良になってしまった期間だったなと思います。
保育園は親の居場所をも支えている
6月から職業要件がなくなったので、登園を再開しました。
登園自粛日を週1日設けつつでしたが、保育園に預けられるようになって、私の精神衛生が劇的に改善したように思いました。子どもに対しても仕事に対しても、それぞれ別々に向き合う時間ができたことで余裕が生まれ、モチベーションも上がりました
保育園の登園を再開してからは、仕事をすることへの悩みはまたなくなりました。
そして改めて、24時間ずーっと母親で居続けるよりも、違う役割の自分がいたほうが良いと感じています。私自身にとっても、子どもにとっても。
仕事に没頭する時間があるから、育児とは違うやりがいや満足を得られる。それによって、子どもに対して不必要に求めすぎることがなくなって、子どもといる時間をより大切に過ごせる。そう思います。
とはいっても私の体も心も一つなので、母親の役割をしながら同時に仕事の役割を果たすのは無理で、保育園は私のもう一つの居場所である仕事を守ってくれる大事な場所だとよくわかりました。
保育園とはなんとありがたい存在か。今回の件で、私以外にも多くの人が実感したことと思います。
子どもにとっても安心できるもう一つの場所
ここまで私の心の中の話ばかり書いてきましたが、息子にとっても保育園の登園再開は良かったようです。
登園自粛の2ヶ月間、ずっと家で私と2人と過ごすのは退屈に感じることもあったでしょうし、私が一緒に居ても仕事や家事で相手をしてくれない時間があります。体力が余って、昼も夜も全然寝付かなくなったりしていました。散歩で保育園の前を通ると、「ほいくえんいきたい」とも言っていました。
登園を再開してから、家での様子も登園自粛中より穏やかになったように思います。保育園で思い切り遊べていることと、私に余裕が生まれたことと両方が影響していそうです。
そして、保育園は家以外の「もう一つの居場所」として、息子にとっても必要なところだったのだと思います。
毎日保育園に行けるのがとても楽しいみたいで、友達の名前も口にしています。親から離れて同じ年頃の子どもたちと遊ぶことが1歳児にもとても大事なことなんだなと思いました。先生方のことも大好きなようです。
小さい子どもが親と離れるのはかわいそうという声もありますが、子どもにとっても親と離れられる場所は必要なのではないかと思います。
親に叱られてなんとなくばつが悪い時、保育園や幼稚園でお友達と遊んだり、おじいちゃんやおばあちゃんと過ごして気分が切り替えられた、みたいなことって、私たちにもあったんじゃないでしょうか。
我が家の場合は祖父母と近居ではないのでいつでも頼れるわけではなく、そうなると子どもが親と離れて安心して過ごせる場所として、保育園というのはとても大きい存在なのだと思います。
登園自粛期間中は誰と会うこともできず、親とばかり過ごしていたのは子どもにとっても多少なりとも息苦しいものだったのでしょう。登園再開できて本当に良かったと思います。
というわけで、今回のコロナ禍を経て、親にとっても子どもにとっても「家庭以外の居場所」というのはとても大事だということを実感しました。
特に仕事と子育てを両立する家庭においては、保育園とはただ子どもを預かってくれる場所ではなくて、そのもう一つの居場所を支えてくれるところといえます。
少なくとも我が家にとっては、保育園という場所があるおかげで笑顔が増えています。
いまはまた、東京で感染者が増えているところですが、保育園で働かれている方に過度に負担がかからない範囲で(そのための協力はもちろんしたい)、登園は続けられるとよいなと願っています。