こんにちは、まめこです。
きょうは、親が共働きだったまめこの「小学校の夏休みの過ごし方」から。
昨日のエントリーの続きです。
私は私立小学校に通っていたため、近所に友達がいませんでした。一番近くて電車に乗って2駅先とか。
なので、夏休みに友達と遊ぶのは、親同伴で夏休み中に2~3回あるかないか。事前に計画を立てて遊びにいくビッグイベントでした。
たまーにあるそのビッグイベントを楽しみにしながら、基本的には夏休みは子どもだけで家で過ごします。
弟と一緒にテレビゲームをしたりとか。猛烈な量が出される夏休みの宿題に取り組んで、勉強したり、水彩画を描いたり、工作したりとか。
よくプールにも一人で出かけていました。大人が体力づくりで泳ぐ中に混じって、25mプールで黙々と泳いでました。
そんなこんなで、意外とやることはいっぱいあって、親がいなくて退屈することもなく、勝手に楽しく過ごせてはいたと思います。
まめこ家の夏休みで独特だったのは、5~7日ほど、子どもだけで、長野にある山荘に預けられていました。
まったく初対面の子どもたちと一緒に新宿からスーパーあずさに乗って山荘に向かい、数日間の共同生活。
学年もバラバラですが、みんなで協力してご飯を準備したり、掃除したり、川遊びをしたり、劇をしたり、肝試しをしたり・・・
都市部ではできない遊びができるので、これがすっごく楽しくて楽しくて、親と離れるのは全然苦ではないどころか、毎年行くのを楽しみにしていたほどです。
その山荘も、必要なことは(よほど危なくない限り)子どもたちにやらせてくれるところでした。お風呂を沸かすのに薪を使うのであれば薪割りも子どもたちがします。というわけで、私はここで薪割りを覚えました。その後の人生でまったく使ったことのないスキルですが。
私が預けられていた山荘は、今はもうなくなってしまったそうですが、今でもこういうイベントをやっているところはあるのでしょうか・・・サマーキャンプみたいな感じかな?
お金はかかったとは思いますが、子どもたちは楽しく、親にとっては1週間ほど自由な時間を過ごせるいい方法だったのだろうと、大人になった今となっては思います。
こうやって振り返ってみると、私の記憶では小さい頃から、「いつも親がいてくれる」ということはなくて、でもそれが辛いと思ったことはやはりありませんでした。
親が一緒にいなくても、勝手に楽しく過ごしていたし、親が帰ってきたら「今日はこんなことをした」と話していました。
かといって親との思い出が全くないというわけではありません。休みの日に遊びに出かけたことも、バーベキューをしたことも、いろいろ覚えています。
うまく表現できませんが、小さい頃から、思い出をすべて親と共有しているわけではなかったのです。山荘での体験のように私だけの思い出を持っていて、それが普通でした。
だから、「親が子どもを置いて自分の友達とちょっと旅行に行く」みたいなことも、「子どもたちだけで山荘に行く」みたいな感じで、普通に受け入れていたのかなと思います。
当時から、親は親、子は子でそれぞれの生活があると思って生きてきていたんだな、と。
私の両親は、働きに出て、遊びに行って、家庭以外でのつながりを持っています。そして、子どもは子どもで自由にさせてくれました。
そのなかで生きてきたから、私も産後働いて、自分の社会を持ち、子どもは子どもの世界を持てるようにしたい、と考えるのかな、と思います。
私の場合、どうも完璧主義っぽいきらいがあり、子どもとずっと一緒にいたら、子どものことをなんでもコントロールしようとしてしまいそうな気がするのです。まだ生まれてもいなくて、なにも困ったことに直面していないのに、めっちゃ育児本を読みこんでいる自分に、すでに危険な傾向を感じていますw
だから、子どもを尊重するためには、子どもと離れたところにある自分を持った方がいいだろうと思うし、そのために仕事人という自分を持ちたい。それが産後に仕事を続けようと思っている理由なんだろうと、書き出してみて改めて思います。
仕事をすること自体は嫌いではないですが、あくまで手段というような感覚なので、かえって子どもを尊重できなくなるなら仕事を変えるか辞めればいいかな、と思えているのかも。
家族の形って、本当にいろいろあるんだと思います。
どんな家族の形でも、お互いを尊重していれば、家族としてのつながりと安心感のようなものは、確かにあるんじゃないかな、と思います。
夫とまめこと、これから生まれてくるベビーさんでつくる我が家は、どんなスタイルになるのかまだまだ分かりませんが、子どもの人生を私の所有物のようにしてしまわないように、尊重しあって生きていくことを忘れずにいたいです。
2日にもわたり長々と書きましたが、無理矢理着地させましたw